旅行経路
1月24日
デリーから飛行機で1時間30分のフライト、乗客のマナーは年々良くなっている。8年前のあの驚愕は無い。離陸する直前、滑走が始まった機内で携帯を使っていた人、着陸と同時に機内からいっせいに鳴り出す携帯の音色。今は無い、少し寂しいような気持ちになる。
飛行時間1時間30分だが機内食が出る。CAが聞く「ノンベジorベジ、コーヒーorティー」パトナで昼食を取る時間が惜しいので、機内ですますことに。
(ノンベジ)
(ベジ)
パトナはビハール州の州都、ビハール州北部はネーパールと国境を接し、北東部の一部はバングラデッシュと接している。現在はインドの中で、もっとも貧しい州といわれているビハール州だが、この地は古代栄えた、マガタ王国があり、ゴータマ・シッダールタ(ブッダの本名)が悟りを開いたボート・ガヤ(ブッタガヤ)があるように仏教が生まれた土地でもある。
12:15 パトナ着。
インドで生産販売している、トヨタのイノーバーというワンボックスカーで、ガイドとドライバー、私達二人の4人でバナラシまでのたびを始める。
BC4世紀に栄えたマガタ王国の首都(都)ラージギールに向かう。80kmの距離だがハイウエーではないので、道路の状態も悪く、その上大型トラックが多く走る幹線道路なので、込んでいたら4時間から、へたをすれば5時間かかると言われる。実際4時間かかった。「悪路は続くよ何処までも~」と歌いだしたい気分だ。とは言うものの、村や町を過ぎるたびに見る、人々やその地域の特色があり、見ていて楽しい。生卵を売っている屋台などチェンナイでは見かけたことが無い。アイスクリームにも玉子を使わないのだから。床屋も屋台ではないが道端に座ってやっている。
だが、ほのぼのと景色を眺めていても、この悪路に思考は中断される。
ようやくラージギールのナーランダに着く。
ナーランダには世界最古の大学の遺跡がある。AD5世紀ごろ仏教大学が建てられ、仏教を学ぶ出家学生が多いときでは8500人ほど学んでいたといわれ、かの玄奘三蔵もこの大学で学んだそうだ。もちろん誰でも入れるわけではなく、競争率は高い時で100倍もあったそうな。周囲12kmもある大規模な大学で、全寮制で賄い付き。今現在の遺跡からは思いも付かない規模だったのだろう。ガイドは世界一の大学だったと言っている。この遺跡もアジャンタ遺跡と同じくイギリス人の発見だ。ただ残念な事に、イスラムの侵入によって土台を残し、すべてが破壊されてしまっている。この遺跡から当時を偲ぶには、この大学についての知識と仏教の素養を供えていないと難しい。私はイマジネーションが湧いてこず、想像すら出来ない。
今夜の宿は法華ホテル。あの日本の法華ホテルが作ったホテルだが、今はインドの観光会社の経営になっている。だが夕飯は和食が用意されていた。かき揚げをメインに鶏肉の煮付け、冷奴、酢の物、ナスの田楽、そば、味噌汁とご飯という結構豪華な食事だ。味はまあまあと言っておく。他の宿泊客は仏跡ツアーの日本人グループ。
ガイドの話では今年は日本人の観光客、とりわけ、仏跡ツアーはとても少ないといっていた。仏教徒である日本人にとって、インドというよりも、ブッダの地を巡る事はとても大事な事なのだとか。信心深い人たちの話です。
1月15日
5時45分まだ暗いうちに慮鷲山に登るため、ホテルを出る。
上手くいけば日の出を拝む事が出来るかもと、期待を胸に登り始める。山道ではなく、石がひき詰められているので、歩きやすいが、途中二度ほど休憩を取りながらゆっくりと足を進める。高さはおよそ700mだとガイドは言う。
慮鷲山とは何か?ブッダ80歳、最後の遊行をここから始めた出発の地。ブッダはナーランダやこの霊鷲山が好きで、よく訪れて、説法や瞑想をしていたという。
残念ながら、雲で日の出は見られなかった。
法華ホテルに泊まっている日本人のグループも登ってくる。どこかの寺の住職さんとその檀家さんたちのようだ。皆さん、頂上に着くや、バックやリュックから袈裟を出して着替える。住職さんは籠で登ってきた。ブッタが瞑想を行ったと思われる場所に仏像が供えられており、その前に住職が座り、その後ろに並ぶように檀家さん達が座る。そしてお経を唱える。どの宗派かは分からなが、お経とは、耳にも心にも、心地よい良いものだ。
住職さん一行が山を降りたので、私も正座をしてみる。2500年前、この場所にブッタも座り、今私が見ている景色を同じように目に入れていたのかと思うと、何か不思議な感覚におそわれる。
ここに登ってくる人たちの気持ちはブッダを偲ぶ気持ち唯一つ。だからだろうが、気持ちの良い気が充満しているように感じるのは私だけか?
帰りに竹林精舎(マガタ王国時代の長者が、ブッダが雨季に留まれる場所として、寄与した竹林の土地。後に大寺院が建てられたそうだ。祇園精舎と並ぶ精舎跡)を散策。
ホテルに戻り、朝食を取り、ボートガヤ(ブッタガヤ)へ出発。2時間の道のりでのどかな田園風景を眺めているうちに到着する。
まずスジャータ村に行く。スジャータといえば、コーヒーに入れるミルクが日本では有名だ。ブッダを救った少女の名がスジャータという。牛飼いの少女が6年の苦行でやせ衰えているブッダを見つけ、ミルクを与える事でブッダは元気になると言う話。(とっても短く省きに省いて書きました。)それから10世紀の後グプタ朝の王がスジャータを称えて造ったストゥーパーを見る。正直な感想として、ナーランダ遺跡もスジャータのストゥパーもイメージがつかめず、興味が湧き出てこない。困ったな~
ほとんど破壊されているので何を見てもレンガの崩れたものにしか見えない。こんな事を言うと怒られるかな~~何もイメージとして湧いてこない事に当惑する。
夕方からブッダが、悟りを開いた場所。(紀元前3世紀にアショカ王によって基が建てられる。)マハーボディー寺院(大菩提寺)に夜のお勤めを見に行く。まず、靴を入り口で預け、裸足で境内へ入る。人でごった返している中を歩き、ブッタが悟りを開いた菩提樹を見る(この菩提樹は何代目かの樹)。この大樹の周りはお経唱える僧侶、または信者で足の踏み場も無い。ブッタが瞑想を、そして悟りを開いたのか…..思うが、実感はないが実に不思議な雰囲気だ。
この境内を所狭しと、五体投地をするチベット僧が埋め尽くしている。
ダライ・ラマがインドに亡命、インド政府から土地を提供され、チベット暫定政府をダラムサラに置く。ここに来ているチベット僧もダラムサラから来ている。若い僧はダラムサラで生まれ育ったのだろうと、ガイドは言っている。
18:30からお堂で始まるパーリー語のお経を、僧侶たちの後ろに座り、聞かせてもらう。
「ブッダム・サラナム・ガッチャーミ ダンマム・サラナム・ガッチャーミ サンラム・サラナム・ガッチャーミー」お経の何ともいえないリズムと音階が心地よく、体が軽くなる感じになり、20分もたつと気持ちのよい眠りに入って行きそうになる。あわてて席を立った。
☆ストゥーパー 仏舎利を納めた塔 インド様式の仏舎利の塔がストゥーパー
☆ブッダム・サラナム・ガッチャーミ 私は仏に帰依します。ダンマム=法(心理)
サンラム=結社(ガイドの説明は英語でオーダーと言っていたので)